沖縄旭琉会の会長は現在誰?二代目体制の真相と歴代トップの激動史
本土復帰前から独自の歴史を刻んできた沖縄県内唯一の指定暴力団「旭琉会」。かつて激しい流血を伴う抗争を繰り広げ、分裂と一本化という激動の軌跡を辿ったこの組織をめぐり、ネット上では「現在のトップは誰なのか」「どのような組織体制になっているのか」といった疑問や関心が絶えません。
2019年の首領・富永清の死去以降、組織はどのような継承を遂げ、現在どのような局面を迎えているのでしょうか。歴代トップの足跡から最新の幹部体制、本部拠点をめぐる警察当局との攻防に至るまで、取材メモと公知の治安情報をもとにその深層を紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:2026年現在の旭琉会トップは「二代目会長」を継承した糸数真助であり、代替わりした新体制のもとで運営が続いている。
- 要点2:かつて対立・分裂した「旧旭琉会」と「沖縄旭琉会」は2011年に富永清のもとで一本化され、単一の指定暴力団「旭琉会」へと再編された。
- 要点3:警察当局による包囲網の強化や暴力団排除条例の徹底、組員の高齢化が進み、勢力は大幅に減少。本部事務所の維持も厳しい環境に立たされている。
【2026年現在】沖縄旭琉会の会長は誰か?二代目・糸数真助体制の現況
インターネット上の検索で最も多く寄せられる「沖縄旭琉会の会長は現在誰なのか?」という問いに対する明確な答えは、二代目会長・糸数真助です。
長年にわたり沖縄の裏社会に君臨し、警察当局から「沖縄ヤクザの巨頭」と目された富永清が2019年9月に80歳で病死した後、組織の去就が注目されていました。富永の死後、後継争いによる内部摩擦や分裂が懸念されたものの、組織は速やかに後継体制の構築へと舵を切り、有力傘下組織であった「照屋一家」総長を務めた糸数真助が二代目を継承しました。
糸数会長の経歴を振り返ると、旧沖縄旭琉会時代から富永の懐刀として組織運営の中枢を支え、一本化後も最高幹部として実務を取り仕切ってきた経緯があります。武闘派としての存在感を示しつつも、組織内での調整力に定評があり、トップの交代に伴う大規模な内部衝突を未然に防いだ立役者とも評されています。
歴代会長の軌跡と富永清のカリスマ性|初代から現在に至る指導者たち
旭琉会の権力構造を理解するうえで欠かせないのが、本土とは全く異なる土壌で形成された歴代トップの歩みです。沖縄の組織は戦後、米軍統治下におけるコザ派や那覇派といった地域グループの離合集散から始まりました。
1970年、本土復帰を前に本土系巨大組織の進出を警戒した県内グループが集結し、連合体として結成されたのが「琉球旭琉会」でした。初代会長・仲真朝照の時代は、組織の基盤固めと縄張りの調整に奔走した草創期にあたります。
その後、内部対立の激化を経て1983年に二代目会長・多和田真山が就任しますが、多和田はわずか数年後の抗争で射殺されるという悲劇的な結末を迎えました。指導者を失った組織は混迷を極め、ここから旭琉会の歴史は最大の分裂局面へと突入していきます。
その混乱のなかで強烈なリーダーシップを発揮したのが、のちに分裂組織「沖縄旭琉会」を率いることになる富永清でした。富永は独自の組織規律と圧倒的な求心力で一大勢力を築き上げ、沖縄の裏社会における決定権を掌握。一本化後も初代会長として君臨し、半世紀近くにわたり事実上の最高実力者として影響力を振るい続けました。
なぜ分裂し一本化したのか?「旭琉会」激動の抗争と再統合の裏面史
かつてニュースで「旭琉会」と「沖縄旭琉会」という似通った2つの名称が報じられていた背景には、1990年に勃発した激烈な内部分裂があります。
多和田会長射殺後の主導権争いなどを背景に、富永率いる反主流派が離脱して「沖縄旭琉会」を結成。残った主流派の「旭琉会」と激突し、いわゆる第4次沖縄抗争へと発展しました。この抗争では自動小銃や爆発物が使用されただけでなく、警戒中の警察官や無関係の高校生が誤射されて命を落とすという痛ましい事態を引き起こしました。
市民社会を巻き込んだこの凶行は世論の強い怒りを呼び、1992年に施行された暴力団対策法(暴対法)成立の決定的な引き金の一つとなりました。双方の組織は暴対法に基づく指定暴力団に指定され、当局による極めて厳しい監視下に置かれることになります。
抗争終結後、約20年にわたり2団体が並立していましたが、転機が訪れたのは2011年です。警察の締め付け強化や暴力団排除条例の全国的な広がりにより組織の存続基盤が急速に縮小するなか、双方は「無用な摩擦を排し、沖縄の伝統的組織を守る」という名目で手打ちを選択。対等合併の形で「旭琉会」への一本化が実現し、会長に富永清、ナンバー2の理事長に旧旭琉会トップの花城松一が就くという融和人事が敷かれました。
最新組織図と幹部一覧の動向|縮小が続く最高幹部陣のパワーバランス
一本化から年月が経過した現在、旭琉会の組織図はどのようなピラミッドを形成しているのでしょうか。関係筋や治安当局の把握情報によると、現在の最高幹部一覧は以下のような役職構成で維持されています。
頂点に立つ二代目会長・糸数真助を支える形で、理事長、幹事長、本部長といった中枢ポストが配置されています。かつての分裂時代に見られた「旧旭琉会派」と「旧沖縄旭琉会派」の派閥対立は、指導層の代替わりや幹部の引退・死去に伴い、実質的に薄れつつあるとみられています。
しかし、組織の実態は決して盤石ではありません。警察庁のまとめによると、沖縄県内の暴力団構成員・準構成員数は、ピーク時の数千人規模から大きく落ち込み、現在は約200人台から300人前後へと急減しています。幹部一覧に名を連ねる顔ぶれの多くも60代後半から70代以上の高齢者で占められており、若手の新規加入が途絶えた「後継者難」が組織図の随所に影を落としています。
本部事務所をめぐる攻防と警察の包囲網|拠点を巡る法執行の現在地
組織の象徴であり司令塔でもある本部事務所をめぐる情勢も、かつてない苦境に陥っています。
これまで旭琉会は那覇市首里や辻、南風原町などに拠点を置いて活動してきましたが、地域住民による追放運動や警察当局による使用制限命令の請求が相次ぎました。沖縄県警や暴追センター、弁護士会が連携した民事訴訟や仮処分申請により、幹部の出入りや定例会の開催が物理的に封じられる事態が常態化しています。
特に富永会長の死去前後からは、拠点事務所の売却や解体、退去を余儀なくされるケースが増加しました。現在では明確な「巨大拠点」を構えることが極めて困難となっており、小規模な関連施設や幹部の自宅などを分散利用せざるを得ないのが実情です。当局による家宅捜索の網も狭まっており、活動拠点としての機能は著しく低下しています。
【沖縄 旭琉会 会長】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:現在、沖縄の旭琉会のトップ(会長)は誰ですか?
A1:現在のトップは二代目会長・糸数真助です。2019年に死去した富永清の後を継ぎ、組織の最高責任者として運営を担っています。
Q2:「旭琉会」と「沖縄旭琉会」という2つの組織はどうなったのですか?
A2:1990年の内部抗争により「旭琉会」と「沖縄旭琉会」に分裂していましたが、2011年に再統合(一本化)を果たしました。現在は単一の指定暴力団「旭琉会」として指定されています。
Q3:県外の巨大組織(山口組など)との関係はどうなっていますか?
A3:旭琉会は結成以来、本土巨大組織の傘下に入らない「独立親睦団体」としての立場を維持してきました。現在も友好関係を持つ本土組織はあるものの、直系傘下には入らず、沖縄独自の組織としての看板を保ち続けています。
Q4:旭琉会の勢力や組員数は現在どのくらい減少していますか?
A4:最盛期には構成員・準構成員を合わせて1,000人以上を数えましたが、暴対法の適用、暴排条例の徹底、首領の死去や高齢化に伴い、現在は約300人規模まで減少しているとみられています。
まとめ:岐路に立たされる沖縄指定暴力団の未来と展望
本土復帰前の混沌から立ち上がり、過酷な流血の歴史を経て一本化を成し遂げた旭琉会。二代目・糸数真助体制のもとで命脈を保っているものの、取り巻く環境は過去のどの時代よりも過酷さを増しています。
警察当局による徹底的な資金源の遮断、銀行口座の開設制限や不動産契約の排除といった社会的な孤立化、そして組員の著しい高齢化と後継者不足。これらは組織の屋台骨を内側から確実に揺るがしています。「独立組織」としての歴史を誇ってきた沖縄の指定暴力団が、この先どのような変容を余儀なくされるのか。治安当局の警戒が緩むことはありません。 (出典: 沖縄 旭琉会 会長(Yahoo!ニュース))